列車のさみしさ

ゼミ旅行に行ってきた。今年は北海道、昨年が長崎だったから、ちょうど逆。「この時期安いのは寒いところだよ」と、旅行代理店に相談にいった合宿係が、カウンターのおにいさんに勧められた結果なんだそうである。

ゼミ生たちは、ヒートテックにダウンジャケットという、南極観測隊のような装備で札幌に乗り込んだ。ところが到着した札幌は、さっぱり寒くなかった。路上の雪は溶けかかり、白いはずの雪には泥が付着して汚れており、まるで春先の北海道である。夕方には降りはじめたが、雪ではなく雨。この日、最高気温は8度になったのだと、あとで知った。「ふくろう亭」でジンギスカンを食べたあと、ホテルへ戻るころにはずいぶん冷え込んできた。

翌日は雪。バスではるばる旭川まで遠征し、旭山動物園へ。行ってみると、おどろいた。気温は昨日とうってかわって氷点下、山の中腹にあって半ば吹雪になりかかっているにもかかわらず、続々と観光バスがやって来る。バスからは、モコモコに着込んだ年配旅行者たちから、この寒いのにブレザー姿の高校生までが、どしどしと吐きだされてくる。この時期の北海道の観光資源といえば、スキーとカニとガリンコ号ぐらいしかなかった時代からすれば、脅威的な集客力である。

  ▲キングペンギンの散歩。芸ではなく、生息地の習性を再現したと説明あり

旭山動物園のよさは行動展示にあるという話はよく聞く。たしかに工夫されている。園内の説明板がほぼすべて手書きであり、イルカショーのような芸を仕込んだりもせず、そういう姿勢は好感がもてる。ペンギンという生きものを、初めてほぼ同じ目の高さで見た。ぼってりしていて、でっかい。ちっともかわいくない。とくに目がすごい。マンガでよくある怒りや悪意に満ちたときのような、逆三角形をしている。その三角の目のなかで、ときどき、ぐるりと目玉が動く。この寒いのに、キリンやダチョウが雪のなかをうろうろしているのは、気の毒な気もするが、動物学的には問題ないのだろう。

  ▲JR札幌駅のタワー展望台のトイレ。どちらからも眺望抜群ということか

  ▲小樽市内は雪

  ▲ひとりで水天宮まで登ってみた

最終日は小樽で一日すごし、夕方の快速で空港へ向かった。ほどなくして日が暮れた。隣に坐っていたゼミ生が、「こんなふうに」と話し始めた。旅の終わりに列車に乗っていて、暗くなった車窓を眺めるともなく眺めていると、無性にさみしい気持ちになるのだ、と。

話はさらに続く。そのさみしさについて、これまでは、たんに旅行が終わるからさみしいのだとおもっていた。けれども、それだけではないかもしれない。なぜなら、バスや自動車ではそういう気持ちにはあまりならないから。それに、鉄道といっても、ふだん通学でつかっているような路線やロングシートの車輌では、やはりこんな感覚を感じることはない。──

なるほど、ぼくにも覚えがある。だとすれば、そのさみしさは、いったい何に由来するのだろうか。暗闇のなかをわずかな灯りが飛び去ってゆく車窓に目をやりつつ、そんな話をしているうちに、列車は新千歳空港に到着した。

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