メディア論の視座

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ナショナルメディアとしてのテレビ

サッカー・ワールドカップ日本代表はとうとう16強に進出した。カメルーン戦での勝利以来、オランダ戦の健闘をへて、デンマーク戦は守備のみならず攻撃も積極的で、圧倒的にたたかっていた。 そうした姿をみるべく多くのひとたちがテレビに、あるいは...
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白熱教室の学生たち

教育テレビの『ハーバード白熱教室』が話題である。ぼくも数回みた。前にNHKの中のひとから、この番組の特徴は、視聴者層が偏らず、どの層からも一定の視聴率をとれる点にあるのだと教えられた。いろんな形で読み解くおもしろさがあるということだろう。 ...
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勝った

サッカー・ワールドカップ(なぜか「W杯」という不思議な表記が定着している)で日本代表がカメルーンに勝った。よかった。おめでとう。ぼくも《みの》と一緒に中継をみていた。 もっとも、まず最初に謝らなければならない。事前の率直な気持ちとして...
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車窓都市

名古屋芸術大学で特別講義をしてきた。『アトラクションの日常』を読んでくださったという津田佳紀先生からお誘いいただいたのだ。とてもありがたいことである。 名古屋駅から名鉄にゆられて15分ばかり。その大学のあるあたりは、かつて西春町とよば...
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トランスカルチュラル花笠音頭

運動会ネタもうひとつ。 小学校の運動会では学年ごとに競技と演技がある。《くんくん》の学年の演技は花笠音頭だった。毎年おなじみのレパートリーなのだ。そして毎年これを見るたびに疑問におもう。そもそも千葉の小学生がなぜ運動会で山形の民謡を踊...
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清水幾太郎「テレビジョン時代」

いま3年生の講読の授業で清水幾太郎「テレビジョン時代」を読んでいる。初出は1957年。『思想』11月号の特集「マス・メディアとしてのテレビジョン」の巻頭論文として発表された。 一般にこの論文は、テレビ黎明期において当時の最新メディアで...
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すべてがネタになる

事業仕分けのネット中継が話題である。動画中継も大規模におこなわれるようになったものの、あらためて思ったのは、Twitterが実況にいかに向いているか、である。これでキャノンボールみたいなことをやったら、さぞ面白かろう。 ところで、こう...
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やりませんか?

テレビ番組の制作プロダクションをやっているというひとがやってきた。デジタルストーリーテリングに興味があるので教えてほしいということで、前に一度だけ会ったことがある。今度はなんの用事かとおもったら、こう言うのだ。 「デジタルストーリーテ...
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公式ブログはなぜ「公式」なのか

BLOGOSというサイトから連絡が来た。運営しているのは「あの」(と、つい枕詞をつけたくなってしまう)ライブドアである。ぼくのこの「散歩の思考」の記事を転載させてほしいという。こんな辺境ブログの何がいいのかはわからないが、興味をもってもらえ...
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iPadと電子書籍(2/2)

読書論といえば従前さまざまな蓄積がなされてきた。それらはそれぞれ、文芸批評や文化研究や認知科学など、基盤とする領域ごとに何系統かにわけられようが、いずれにも共通するのは、読書という一見受け身にみえる行為がじつはどれほど多様で創造的な営みであ...
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