メディア論の視座嘘つきはむずかしい――ウソ・メディア史 前回はエイプリルフール・ネタについて書いた。その続き。 エイプリルフールは一年に一度だけ嘘をついても道徳的に咎められない日、ということだそうだ。「これは嘘ですから」という安全な枠組みが保証されている嘘なら許容されるということであり、そ... 2016.04.13メディア論の視座ゼミ・授業
メディア論の視座エイプリルフール・ネタについて エイプリルフールに各企業がこぞってネタを競うようになったのは、いつごろからだろうか。BBCの例など古くから有名だけど、いまや日本でもにぎやかだ。悪い話ではない。今年(2016年)わりに気に入ったのは、ロームという半導体メーカーの「運命センシ... 2016.04.11メディア論の視座
メディア論の視座自由について ブリュッセルの事件で被害に遭われた方がたに、ささやかながらお見舞い申しあげる。 そして同時に、世界のあちこちで、みずからの意思や希望に反し、政治や暴力などの力によって自由を奪われている大勢のひとびとにも。 このなかには、戦場の街... 2016.03.23メディア論の視座
メディア論の視座素人仕事 素人仕事というのが好きではない。ここで問題にするのは「素人」ではなく「素人仕事」だ。両者は別べつの概念であり、安易に混同してはならない。 ぼくのばあい、素人仕事に遭遇しがちな代表的な場面といえば、大学とか自治体とかナントカ協会といった... 2016.03.16メディア論の視座
メディア論の視座5年目の3.11 5年目の3.11。5年前と同じく金曜日だ。 この間に確かになったこととは何だろう。 地震と津波の襲来。原発事故、それにつづく諸々。多くのひとが被災した。多くのひとがさまざまなことについてさまざまに語った。 元に戻ったものも... 2016.03.11メディア論の視座わからない風景
メディア論の視座うちの会社、うちのゼミ——語・対象・距離 現在のことはとんと知らないのだが、ぼくが最初につとめた出版社の編集部のひとたちは、じぶんの会社のことを「うち」と言わなかった。いつも固有名(会社名)をつかっていた。社外にたいしてだけでなく、社内の人間どうしで話をするときも。 いちど理... 2016.03.07メディア論の視座
メディア論の視座得をしようとしすぎないこと 長年の経験からおもうのは、得をしようとしすぎると逆効果だということだ。 「どうせ得られるものなら少しでも多く」という気持ちはわからなくもない。人間だから、もちろん損するよりは得をしたいと考えるのは自然なことだろう。でも、あまり得をしよ... 2016.02.01メディア論の視座
メディア論の視座「わたし変わってる」と言いたがるひとたち 「わたし、変わってる」とみずから口にしたがるひとにときどき出会う。出現するのはときどきかもしれないが、これまでのぼくの人生で出会ったこの手のひとを累計すると、けっこうな数にのぼるような気がする。 中学生や高校生くらいであれば「まぁお年... 2016.01.06メディア論の視座
ブログ整備「配慮」としてのSEO——SErO=検索エンジンそこそこ最適化 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 新年早々ではありますが、ふだんどおりの感じで記事をあげさせていただきます。 当ブログにおけるSEOへのスタンスについて 前回はWordPressにSEO... 2016.01.01ブログ整備メディア論の視座
メディア論の視座女性アイドルとヲタ芸 ぼくのゼミでは毎年のようにアイドルを主題に卒論を書きたいという学生がいる。だからぼくも毎年いろいろ話を聞く。どの話もなかなか興味深い。で、これに関連して、ぼくが個人的に考えていること(妄想みたいなものだが)を少し書き留めておきたい。 ... 2015.11.02メディア論の視座ゼミ・授業