イケア (IKEA) に行ってきた

イケアに行ってきた。場所は南船橋駅前、かつてスキードーム・ザウスがそびえていた跡地である。古い団地と船橋オートレース場にはさまれている。スウェーデン家具の巨大ストアで、しかも安価という触れ込み。仮想敵は無印良品だそうだ。京葉線のなかは車両まるごとイケアの吊り広告だらけだったりして、ものすごいプロモーションである。

平日だというのにすでに店の前からしてたいへんな賑わいだ。巨大なストアに入ると、まず鉛筆と注文書とフロアガイドと巻き尺をもたされて、そのままエスカレータで2階へあげられる。くねくねと折り曲げられた順路に沿って館内をゆっくり回遊しながら、家具を眺める。部屋のようにしつらえられた展示の方法が売りらしい。家具というよりインテリア全体を売りますよ、というアピールなのだろう。気に入った商品が見つかれば、その品名と番号をじぶんで注文書に書き込む。これをくり返して回遊していくと、やがて巨大な商品棚の並んだ倉庫が出現する。書き込んだ番号の棚へ行くと、客自身がお目当ての商品をピックアップして会計、という趣向である。

早い話、これは客がみずからの身体をイケア・ストアという巨大機械の一部に組み入れていく仕掛けなのだ。ディズニーランドのジャングルクルーズみたいなアトラクション方式というか、客みずから工場のベルトコンベアと化すというべきか。流行の「北欧家具」という記号に欲望をかきたてられ、しかも「安い」(たしかに安い)プライスタグに背中を押され、欲望の増幅された客たちはこぞって購買機械と化す。

かくいうぼくも例外ではない。新しい研究室におくためのテーブルとイスを買いに出かけた。人混みのなかで、商品をチェックする。ものは、ハンス・ヴェグナーの家具のようなレベルとはさすがにいかないが、値段がひと桁違うことを考えればまあリーズナブルというところか。ただし「在庫切れ」の表示も多い。イスは、デザインと価格のバランスのよいものは軒並み「在庫切れ」だ。黄色いシャツを着た店員に訊ねると、入荷を予約することはできない、という。「イケアでは直接お客様に見て触っていただくことになっていますので」。モットーは結構だが、商品が欠品していれば実効性がない。論理がねじれて、モットーだけが空回りしている。

それでもめげずに品物を物色する。同じイスでも材質が違えば色も質感も違う。イスの種類が違えばサイズも違い、テーブルに収まるかどうかも採寸して検討しなければならない。そうやってやっとのことで、買うべきテーブル(板と脚は別々)とイスを注文書に書き入れて指定された倉庫の棚へたどり着いた。まずテーブルの脚を4本カートに入れ、テーブルトップの棚へ向かったところで、夢から醒めるように我に返った。肝心の在庫棚が空っぽなのだ。

黄シャツの店員をよびとめて訊ねる。売り場でプライスタグを見たときには、たしかに在庫ありとなっていたはずですが? かれは答える。その時点では在庫があったのでしょうが、そのあとお客様(ぼくのことだ)が商品棚までお出でになるあいだに、ほかのお客様がレジを通過されたのでしょう、コンピュータで処理していますので、と。それはないだろうイケアさん。ぼくはすっかり魔法が解けて、機械から凡庸たる人間へ戻ってしまった。そして、すべてが莫迦らしくなった。ようするに、イケア・ストアというシステムを構築してはみたものの、そのシステムに見合うようなオペレーションができるほど詰められていないということだ。だから細部からボロボロと綻んでいくのである。ここで客に夢から醒められては、狙いどおりの商売の地平にはたどり着けないだろう、イケアさん。

憑きものが落ちたように放心するぼくの前で、店員はまだなにやら説明している。「まあ、早い者勝ちということですね」などと口走るところを見ると、従業員教育も十全ではなさそうだ。念のためにイスの棚へ行ってみた。在庫は1脚しかなかった。ぼくは2脚買うつもりだった。隣にいた真っ黒に日焼けしたサーファーふうの若夫婦もまた店員に訊ねている。「棚が空っぽなんですけど」。

20分後、徒労感だけを手にして、ぼくは再び西船橋駅のホームに立っていた。スモッグで霞んだ西空に丸い夕日がぼんやりと浮かんでいた。