地下施設の見学が終わったのは、予定時刻より15分ほどすぎてからだった。
更衣室で着替えてから、再び朝集まった会議室に戻った。すでにA班は見学会を終了して解散しており、参加者の姿は見えなかった。それにもかかわらず、B班だけのために質疑応答の時間を用意してくれていた。見学者からいくつか質問が出、それについて比較的率直な見解を聞くことができた。この種のものとしては活発であった、といってよいとおもう。
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こうして中身の濃い見学会は終了した。とりわけ、地下の調査坑道と地層処分実規模試験施設の見学は、たいへん充実していた(ただし、ゆめ地創館の展示に限れば、特筆するほどではない)。
実際に研究や調査をしている実機や現物、現場に触れることができた。研究や作業に日々たずさわっている研究者や職員の方がたのお話を直接聞くこともできた。
そこには、熱意や情熱とよぶべきものがあった。じぶんたちが取り組んでいることを少しでも広く理解し共有してもらいたいという情熱が強く感じられた。それでいて、たとえば地層処分の必要性を見学者に教え込もうというような無理強いは、皆無とはいわないが、ほとんど感じられなかった。(ただし原子力推進について言及がなかったのは、つぎのような方針が原子力機構から発表されたことと関連しているのかもしれない。)
幌延の見学会は、これまで見てきたどの原発PR施設ともまったく異なる印象を残した。
多くの原発PR施設には、熱意や情熱というものが決定的に欠けている。奇妙といえば奇妙なことだが、原発推進のイデオロギーでさえ、本気で訴えようとしているようには見えない。
むしろ大半の原発PR施設では、できるかぎり原発というリアルからひとびとを遠ざけようとしていたようにおもう。
展示といえば、模型やジオラマ、子どもだましのようなクイズや映像が目につく。べつに模型やジオラマだから悪いというのではない(そもそも両方とも個人的には大好きなものだ)。それらをつかって何をしたいのかがよくわからないのだ。何か、こういうものを用意しておけばいいのだろうというような、思考停止の産物が並べられているような印象をうける。
解説してくれるのも、一所懸命やってはいるが、科学的・技術的な文脈を理解しているとも思えない案内嬢たちである。展示や説明の内容も一面的で、本当に知りたいことは隠されているように感じられる。
原発のすぐ隣にあるというのに、実際の原発サイトのようすを一切目にできないようにしている施設も少なくない。
あまつさえ、館の内外を警備員が徘徊し、妙に威圧的な空気を漂わせている。なんとなく気軽に足を向けにくい気分にさせられる。
PRを標榜する施設であるというのに、それはむしろ原子力にかんするわたしたちの想像力をますます萎えさせる方向に機能しているとさえいえる。
もし事業者側がこれを意図して実現しているのなら(そんなことはありえないとおもうけど)、大した策士だといわねばなるまい。
いっぽう幌延の見学会がなぜ例外的に興味深いものになりえたのか。三点あげてみたい。
第一は、幌延という場所が、地政学的に中央から見て遠く、いわば周縁に位置していることである。
第二は、幌延深地層研究センターが現在のところあくまで実験研究のための施設であり、しかも原子力利用の中心的な主題というより、いわば後始末の段階を扱う部門だということである。
第三は、この施設が、原子力機構という巨大な官僚機構のなかにありがなら、おもに地質屋さんたちによって動かされているということである。地質学や岩石力学などといった地球科学・工学系の諸分野は、いわゆる原子力ムラの主流から見れば、失礼ながら、おそらくは傍流という位置づけになるであろう。
とはいえ、物事というものは、えてして中心部から駄目になっていく。
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見学会は充実していたが、そのことと地層処分の是非はまた別の話である。現場を見、説明を聞いて素人ながらにおもったこと。それは、地層処分という手法の重要性と危うさ、そして難しさ、である。
放射性物質を無力化するためには、あくまでそれ自体が分解してゆくのを、ひたすらやり過ごすしか手がない。たとえば海洋を汚染するオイルの除去なら、回収したうえで化学的に中和処理が可能なのだろうが、放射能のばあいはそういう手はないらしい。
高レベル放射性廃棄物が無害になるために必要な時間は、数千年から数万年におよぶ。事実上永久的に背負っていかなければならない、ということだ。
いっぽう現在の科学や技術で、それほどの超長期間にわたって確実な対放射能防護機能を担保できるとは考えにくい。だから、数百年から1000年間はもたせたいというような話がでてくる。だが、それもあくまで目標にすぎない。現在の地層処分の技術は、まだ開発半ばであり、かなりの不定さ・危うさを孕んでいるように見える。
数百年という単位でなら地下深部は比較的「安定」しているといえるかもしれないが、千年・万年という地球史的単位になれば、確実なことはほとんど言えなくなるだろう。見学会の最後の質疑応答のときにも、その点を質問した。今後10万年は現在の傾向がつづくと「前提」している、という答えだった。ちなみに先述のとおり、日本列島が大陸から完全に切り離れてから、まだわずか1万数千年しかたっていない。
仮に目論見どおりに機能したとしても、数百年から1000年で、現代の科学技術が提供した防護機能は喪失されてしまう。いっぽう高レベル放射性廃棄物の脅威は、そのあとも千年万年単位で確実に持続する。人工バリアの防護機能喪失後について、どのていど具体的な見通しがたっているのだろうか。
では、地層処分は有効性に疑問符がつくのだから止めてしまえ、という話なのかといえば、そう簡単ではなさそうだ。
なぜなら、これまでの原子力利用にともなって、すでにわたしたちは膨大な放射性廃棄物を生みだしてしまっているからである。原発を維持していけばいくほど、それはますます積みあげられてゆく。逆に、いまこの瞬間に今後一切の原発利用を止めると日本国が決めたとしても、これまでに生成された放射性廃棄物が消えてなくなるわけではない。また仮に将来的に使用済み核燃料の再処理技術が日本でも確立できたとしても、最終的に放射性廃棄物が残されることに変わりはない。
つまり、今後わたしたちが原発依存から脱するにせよ、原発を維持するにせよ、いずれにせよ放射性廃棄物をどうにかして処分しなければならないという現実は受けとめざるをえないということだ。そして、それらを処理するための現実的な選択肢は、地層処分のほかにはなさそうだ。そうである以上、どんな立場であれ、地層処分という方法の重要性は(たとえ積極的でないにせよ)認めざるをえない。
ところがそこには、解決不能にも見える困難が横たわっている。
最終処分場の受け入れを表明する自治体は現在のところあらわれていない。今後もあらわれる見込みはほとんどないようにおもわれる。
より深刻な問題もある。いかなる方法であれ、放射性廃棄物の処分とは、原子力利用のツケを将来の世代に先送りする、ということを意味しているということだ。
地層処分で想定しているのは、せいぜい1000年先までだった。その先については、将来の世代が手当せざるをえない。
仮にこのまま世界中で原発(や核兵器開発)を推進しつづけたとすれば、燃料となるウランが鉱物である以上、遅かれ早かれ枯渇するだろう。そうなると、数百年後の世代は、原子力利用の恩恵に何らあずかることがないということになる。にもかかわらず、先行世代が残した核のゴミの始末だけを押しつけられる。
かれらにすれば、そんなの知るかと放置しておきたくなるかもしれないが、そういうわけにはいかない。地層処分で保管されている高レベル放射性廃棄物から放射性物質が漏れだせば、みずからの生存が脅かされてしまうからだ。わたしたちのあとに来るかれら未来の世代は、20-21世紀のひとびとを心底恨むようになってしまうかもしれない。
わたしたちは、じぶんたちだけの力ではどうにもならない重荷を、すでに背負ってしまっているようだ。
どうしたものだろうか?