高校の同窓会に行ってきた

高校の同窓会に参加するために名古屋へ行ってきた。《あ》も一緒である。同級生だったので。

同窓会は約10年ぶり。今回は30周年であるという。そんなにたっちゃったのか、というのが実感である。同期140名が集まり、たいへんな盛会であった。

おたがい外見はそれなりに経年劣化しているはずなのだが、まあ中身はそれほど変わらないような気もする。会場につくと友人たちは、「ハジメのことなどどうでもいいんだが、《あ》ちゃんはどこだ? 元気か?」などと声をかけてくる。この手の物言いが名古屋流というものである。ちなみに「ハジメ」の「ハ」にアクセントを置くのも名古屋流。

今回は、当時の校長先生をはじめ、先生方もたくさん来てくださっていた。ぼくのばあい、在学時の担任の先生が三名とも来ておられた。

1年生のときに担任してくださったT先生のところには、《あ》と一緒に挨拶にいった。《あ》と初めて出会ったのが、T先生のクラスだったのである。

生徒にもガッツに溢れるユニークな面々がそろっていたが、先生たちはそれ以上に個性派ぞろいだった。T先生も、そう。

当時のクラスメイトたちも大勢参加し、T先生のまわりに集まっていたが、その場にいない生徒の名前から、ここにはとても書けないような諸々の事件まで、30年以上も前のことだというのに、じつによく覚えておられた。《あ》のように優秀な生徒のことはもちろん、ぼくのように「出来が悪いの」の代名詞のような生徒のことも、困ったやつだといいながら、ちゃんと見ていてくださった(ときどきガッツリ叱られたが)。当時まだ30そこそこだったT先生は、その後校長までつとめあげられたが、いまも老け込む気配などまるでなく、元気に溢れているご様子であった。

ひじょうに自由な高校三年間をすごしたのだが、それは当時の名古屋的状況のなかでは必ずしも一般的なことではなかった。そのころの名古屋の初等中等教育は徹底した管理教育で知られていたからである。だから高校に入ってみると、あまりに違う世界がそこにあって、最初は腰が抜けるほどおどろいたものである。でも、自由の水にはすぐに慣れ、あとはもう、あれやこれや散々やり尽くした(ただし勉強を除く)。そんな環境で過ごした三年間は、いまのぼくの基礎の幾割かを確実になしている。

とはいえ、ただたんに過去を懐かしむための集まりであるのなら、そこまでの愉しさを感じることはないだろうと、個人的にはおもう。そうではなく、かつて同じ学舎ですごした友人知人たちが、いまはそれぞれの場所で、それぞれの立場で、それぞれの現実や課題に向きあい、それと格闘しつつ、なんとかして前へ進もうとしている。そうした姿を間近に見て、なにかを感じ、得たものをかかえて、またそれぞれの持ち場へ戻ってゆく。そんなような機会として捉えたいと、ぼくはおもう。

今回の同窓会には、たしかにそんな雰囲気が含まれていたようにおもう。みなさんにお会いできてうれしかったです。そして幹事団のみなさん、ありがとうございました。

なお、往路は新幹線をつかわず、ひさしぶりに東海道線を各停を乗り継いで名古屋まで移動した。東京駅から乗換5回(熱海・三島・興津・浜松・豊橋)、所要時間約6時間で到着する。写真は豊橋駅にて。

帰路は新幹線を利用し、東京へ戻った。所要時間は、往路にかかったそれの1/4ほどだった。