バタイユ『ヒロシマの人々の物語』

広島と長崎に原爆が投下されてから70年がすぎた。あの経験をどう捉え、どう考えるかについては、いろんな立場や考え方があるだろう。そのなかで、バタイユのヒロシマ論は、いかにもバタイユらしい観点から独特の示唆を与えてくれるものだ。

そのちいさな論文は、いま『ヒロシマの人々の物語』(酒井健訳、景文館書店)として読むことができる。

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バタイユがこの論文を書いたのは、原爆投下から一年半後のことだ。ジョン・ハーシーによる被爆経験者のルポルタージュ『ヒロシマ』を読んで衝撃をうけたことが、直接の契機である。

といっても、それはよくあるような同情や憐憫によるものではないし、それらにもとづいて連帯を主張するようなことも(もちろん)しない。そのような言動はバタイユにとって、被爆という経験を、それを経験していない者から切り離してしまうことで、けっきょくは「人間的な意味」の範疇におしとどめようとするものであるからだ。よくいわれるような核兵器廃絶というスローガンも、バタイユなら「人間的な意味」の範疇にあるものだと言うかもしれない。

バタイユのいう「人間的な意味」とは、イデオロギーや価値、道徳などといった、既存のあらゆる規範的枠組みのことをさす。バタイユが主張するのは、被爆の経験とは、むしろそのような「人間的な意味」の枠組みがすべて無効になってしまった刹那に現出する、「動物的」な地平において理解されるべきだということである。そのような地平に立つことによって初めて、人間は、みずからがつくりあげ、みずからを縛りつけてきた種々の枠組みを根底から批判し、解体することが可能になるからだ。

そのような戦略ゆえ、短く簡潔な論文でありながら、バタイユの主張は、一般にはいまひとつとっつきにくく、理解しにくいかもしれない。バタイユが見ようとしているものを、ぼくなりの言葉づかいでパラフレーズしてみるならば、既存の規範的枠組みが極限にまで到達した地点において突如として反転して切り裂かれる瞬間、というような様相ともいえるだろう。バタイユは、被爆という人類史上もっとも悲惨な経験を究極的な逆説として、そこに解放への可能性を見出そうとしているようにおもわれる。

バタイユの主張には、相互に関連しあう二つの視座が含まれている。

ひとつは、被爆という経験を、それを直接経験したひとたちの苦難の経験という観点から見るだけでなく、同時にそれ以外のあらゆるひとびとが日常において経験するさまざまな恐怖や不安と地続きでつながっていると捉える視座である。それは、被爆経験者とそれ以外の者を切り離してしまう愚を避け、被爆を人類全体の経験のなかで位置づけることを可能にしている。

もうひとつは、既存の諸種の規範的枠組みを解体しうる契機を、現にいまぼくたちが手にしているもののなかに見出そうとする視座である。よくありがちな「未来」や「理想」や「望ましい社会」といった、いまここに存在しないものに仮託するような態度は、むしろ、いまここにあるものを見つめる目を曇らしかねないものである。

バタイユによれば、核兵器とは「恐怖によって強制すること、恐怖を引き起こす側の意志を相手に強制すること」の極限的な姿をとったものなのである。だからこそ、日々直接間接に経験されるあらゆる「恐怖によって強制すること」から、ぼくたち自身が解放されなければならない。そしてそのための契機は、いまここにはないどこかにあるのではなく、ぼくたちのこの恐怖と不安、繁栄と虚栄、苦渋と諦観、快楽と絶望に満ちたこの世界のただ中に潜在している。ヒロシマ・ナガサキの経験は、そのことを人類全体に示唆しているのだというのが、バタイユの見立てである。

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上の写真は長崎の爆心地跡(2013年3月撮影)。

一読すれば気づくように、バタイユのヒロシマ論には、今日から見れば理解しがたい記述も含まれている。それにたいする批判があがるのは当然のことであるとしても、しかしそれゆえにこの論文を断罪するとしたら、やや残念なことだといわねばなるまい。ある時代・社会・文化による制約は、バタイユに限らず、誰であれ引きうけなければならない制約である。それらを割り引いたとしても、かれの提示した視座の可能性は、被爆から70年を経た今日でも、十分に汲み尽くされたとは、とても言える状況にはない。

経験から何を学ぶか。それはむしろ、学ぶ側の態度と器量の問題である。

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