母校をのぞく

先日名古屋に帰ったおり、一時間ほど待機しなければならなくなった。たまたますぐ近所に、ぼくと《あ》のかよった高校があったので、ちょっとだけのぞいてみることにした。じつに30年以上ぶり。

校舎はしばらく前に建て替えられていた。正面玄関のあるファサードの雰囲気は、旧校舎のそれを踏襲している。そのことはなんとなく知っていた。

だが、似ていたのはそこだけ。南面はえらくすっきりとモダンになっていた。

旧校舎は全体に無骨であった。3階にはテラスが張りだしていた。以前にも書いたけれど、そこには戦争中は対空機銃かなにかが据えられていたらしい。4階はあとから増築したものだったようで、そのフロアだけ天井が低かった。逆に一階は天井がやたらに高く、寒くて底冷えした。そして、生徒たちはそこへ土足であがっていた。迷い犬を教室で飼っていたこともある。

新しい校舎を少しばかりまぶしい気持ちでながめた。しかし、それ以外の建物は、案に相違して、けっこう昔のまま、いまもつかわれているようにおもわれた。

ブロック造の部室棟は、ぼくたちの在学中につくられたものだった。同じ造りのまま、さらに第二棟、三棟と延長されていた。図書館の建物も、やはり当時のまま。

おどろいたのが、体育館だ。当時は「鯱光館」とよばれていたのだが、床板がめくれており、うっかりするとつまづくし、床に触れるとささくれが刺さるなど、ひどい状態だった。いまは内装も外装もすっかりきれいになっている。だが建物は同じであるように見えた。

隣にあるプールも、やはり当時のままではなかろうか。これらの建物は、あの当時でさえも、すでに十分古びて感じられたものだったのだが。懐かしいというより、むしろ大丈夫かなという気持ちのほうが先にたつのだった。

夏休み期間中だが、部活やら何かの打合せやらで、生徒たちの姿も多く見られた。

正門の前にいたら、台車を押した私服姿のひとりの男子生徒が、こんにちはとあいさつしながら、通りすぎていった。

なんだか少し垢抜けたYくんみたいだった、と当時の友人の名前をだしながら《あ》がおかしそうに言った。