10月31日はハロウィーンだった。朝から小雪がちらついていた。たぶん今季初めての雪ではないかとおもう。
アナーバーの街はしばらく前からハロウィーン模様だった。お店のショーウィンドウはこんなふう。気のせいなのか映画『オズの魔法使』の悪い魔女そっくりに見える。
スーパーの店先にもカボチャが山と積まれていた。
ホームセンターの前もひと月前からハロウィーン仕様だった。
住宅の軒先にも、ハロウィーンのかぼちゃが飾られていた。
ハロウィーン当日になると、みな “Happy Halloween!” と挨拶をかわす。この日の夕方、ぼくはアナーバー郊外の友だちの家にお邪魔した。子どもたちが家々をまわってお菓子を巻きあげる、いわゆる trick or treat をやるというので、誘ってもらったのだ。
Trick or tread
Trick or treat は、日本語ではしばしば「お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ」と訳されたりするが、どうしてもまどろっこしくなってしまう。英語でじっさいに話されるのをカタカタで書きあらわすと「トゥリッ オ トゥリィッ」みたいな感じで、ほとんど三音節のように聞こえる。
ぼくが着いたのは午後6時ごろだったが、一時間ほど前に子どもたちの仮装パレードがあったという。郊外のちいさな分譲地である(といっても日本のそれに比べるとはるかに広大だが)。どこの家もガレージをあけて椅子をだしてお菓子を用意したりしている。トウモロコシの枯れ枝を飾ったり、電飾を配したりしているうちもある。もちろんカボチャは必須。
ぼくも友人たちと一緒にガレージの前で子どもたちが来るのを待つことにした。外で突っ立っているとさすがに寒い。
配るお菓子は、とくに変わったものではなく、スニッカーズとかハーシーの小さなチョコレートなど、スーパーでパーティパックなどと称して売っているようなものだ。ぼくは一時帰国から戻るさいに成田の売店で買ってきたはちみつ梅(4つしか入っていない)と、Kroger(アナーバーでもっともオーソドックスなスーパー)で買ったチョコレートを供出した。それらを大きなボウルのようなものに入れて、あとは子どもたちが来るのを待っているだけ。
ハロウィーンの仮装いろいろ
そのうち、ぽつぽつ子どもたちがやってくるようになった。Trick or treatはとくに誰かが仕切っているというわけでもないらしい。子どもたちが数人ずつ(たまにひとりで)家々をまわり、お菓子をもらってゆく。
みな仮装している。ハロウィーンは、もとはケルトの悪霊払いだったそうなので、悪魔とかホラー映画の登場人物とかダースベイダーとか、わりに怖めの仮装が多い。
でも仮装ならなんでもいいらしい。ミニオンの格好をしたやつもいれば、赤と黄色の二人連れもいた。訊けば「ケチャップとマスタード」なんだそうだ。
相撲レスラーのかぶりものを来た女の子もいた。しかも二人。それぞれ別口のようだったから、そういう仮装用の商品が売られているのだろう。友人がぼくのことを、かれは日本から来たんだよと紹介すると、おお!と、いちおうおどろいてくれた。
Barbar shop quarter というアカペラスタイルの格好をした高校生(?)のグループも来た。友人がなにか歌ってよというと、trick or treatの自作(?)コーラスを聴かせてくれた。
子どもたちの年齢はさまざまである。ようやく歩けるくらいの子から、上は高校生くらいまで、たいていは数名でまわってくるが、ひとりで来る子もいるし、親がついてくるのもいる。
子どもたちの態度もいろいろだ。いちおう “Trick or treat!” といってからお菓子をもらうのがマナーのようで、小さな子でも律儀にお菓子の前できちんとそう言う。すると、迎える友人たちが、どうぞ、ひとり三つね、などというのを聞いてからお菓子をとる。その間に友人が、あなたはアダムスファミリーの衣装ね? そのコスチューム好きよ、とか、あなたは今日は何なの? などと訊ね、子どものほうも、それに答える。そして帰り際にはきちんと「ありがとう」といい、こちらは「どういたしまして」とか “Have a happy halloween!” などと返す。これが基本パターン。
でも、なかにはまったく無言のまま来てお菓子をつかみ、そのまま目もあわせず去ってゆく子もいる。いろいろである。
二度来たりする子はいないのかと訊くと、子どもによる、とのこと。たいていは一度らしい。
とはいえ子どもはそんなに頻繁に来るわけではなく、そもそも郊外の新興分譲地なので、ほとんどの時間はただ待っているだけ。友人によれば、昨年は意外にたくさん来たが、一昨年はその四分の一だったという。お菓子を配るかどうかは家によるらしい。子どもたちもそれを知っていて、そういう家は素通りする。
ただ、まわりにお菓子を配る家があまりないと、子どもが立ち寄る確率が減る。友人の家も通りをはさんで向かい側のほうがにぎやかで、しばらく暇な時間帯がつづくと、友人たちは、こっちにおいで、などと小声でいっている。
アメリカのハロウィーンというもの
午後7時をすぎると日も暮れてきた。正面右手に月がでて、雲の隙間から月光がしみ出していた。
友人が、アメリカのハロウィーンの印象はどうだった? と訊く。実際を見るのは初めてだったのだが、一言でいえば、なんだか平和なものという印象だと話す。
アメリカのハロウィーンというと、ぼくが最初に思い出すのは、高校の後輩(といっても面識はなかったのだが)が米国留学中にハロウィーンの trick or treat で入った家のひとに射殺されたという事件のことである。その印象は、いまでも拭うことはできない。そしてこの日もニューヨークでテロがあったばかりであった。
他方で、アメリカはほんとうに多面的である。銃社会で犯罪が横行するし、貧富の格差は激しいし、人種差別はあからさまにある。その反面、やたらに親切なひとがいたり、たがいに声をかけあったり、地域イベントを大切にしていたりする。
考えてみれば、アナーバー近辺で見かける新興分譲地はどこも「気配」というものがない。なんというか、書き割りのように奥行きがなく、いかにもsuburbiaという感じがする。そういう場所に、今日は子どもたちの声が(ぱらぱらとはいえ)聞こえて、気配まではいかなくとも、なにかひとが生活している感じというのがふだんよりは感得されたような気もしないでもない。
いずれにせよ、「アメリカはこう」とひとつのイメージで語ることができない多様性が、ここにはあるとおもう。いや、どこの社会・文化もそういうものなのかもしれないのだが。