世田谷美術館で開催中の「ある編集者のユートピア——小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校 展」を観てきた。
小野二郎といって、どれだけのひとがピンとくるのだろうか。ぼくには答えようがない。おそらくそれほど多数のひとが知っているような人物ではないだろう。同姓同名、名の字ちがいのひともいるので、それと混同するケースのほうが多いくらいかもしれない。にもかわらず、ぼくの観覧中も、それなりに来館者の姿が見られた。
小野二郎はいろんな側面をもっていたひとである。晶文社のふたりの創業者の片割れであり、大学で英文学を教え、ウィリアム・モリスについて書き、当時の左翼を代表する評論家のひとりでもあった。きわだって多面的な人物であるが、しいていえば、やはり「編集者」とよぶのがいちばん似あうのではないか。
展示は大きく三部構成になっている。最初は小野さんのもっていたコレクションが中心だ。在外研究でイギリスに滞在したときのメモなども展示されている。
つぎが晶文社にかかわる展示で、手がけた本やメモなどが中心。かつて晶文社が入っていたビルにかかっていた看板も展示されていた。個人的には「なつかしい」といってしまいたく気持ちを呼び覚ますかもしれないものだが、これは前にもどこかで見たような気がする。記憶がはっきりしないが、植草甚一展だったかもしれない。そういえば、あれも世田谷だった。
三番目は高山建築学校である。ここでは、1980年だったかに撮影されたという小野さんの講義のビデオが上映されていた。動いてしゃべる小野二郎、というものを初めて見た。ふしぎな感覚だった。
小野さんは、ぼくが晶文社に入社するよりもずっと前に亡くなっていた。だから、ぼくが知る小野二郎は、いろんなひとから聞いた話と、かれ自身が書いたものをとおしてでしかない。そして、とくに後者だけでは、小野二郎のすごさをいまいち理解しにくいように感じられる。
小野さんを直接識るひとたちは、口をそろえて言う。かれの本領がいかんなく発揮されたのは、会話やおしゃべりだったと。おしゃべりをしながら、相手の力をはかり、挑発し、その気にさせ、じっさいに動かす。そうやって、当人自身でさえ気づいていなかった資質を引き出してみせる。そこに、小野二郎の小野二郎たる真骨頂を見るべし、ということらしい。
展示の感想は、ここには記さない。もちろん、おもうこと、考えることはある。けれども、ぼく自身の経験に照らしてそれを整理整頓し、過不足なくここに書き記すに足るだけの能力が、いまのじぶんにそなわっているともおもえないから。
関心のあるひとは、会期中にぜひ足を運んでいただけるとよいとおもいます。
ある編集者のユートピア——小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校 展
世田谷美術館
6月23日(日)まで