想田和弘監督の『精神0』のおもしろさは、これが『精神』(2008年)の続編と見せかけて、じつはまるで続編ではないところにある。
前作の延長に位置するのが続編の定義であるのだとすれば、本作品は、むしろ、前作にたいして、ねじれの位置にある。たしかにカメラは山本昌知医師を中心に捉えるし、実際おそらく監督は続編のつもりで撮りはじめただろう。ところが、山本医師の引退をめぐる状況にカメラが介入してゆく過程で、予期せざるものにつぎつぎと遭遇してしまい、その重力に引きずられ、どんどん逸れていってしまう。その逸脱ないしは横滑りの過程が、この作品のおもしろさの核をなしている。
思い返してみれば、いくら「観察映画」を標榜しているとはいえ、『選挙』『演劇』『精神』といった初期の作品群では、対象の選択にいかにも作家らしい判断がはたらいていた。まちがいなくおもしろいものが撮れるだろうなという対象がちゃんと選ばれているということだ。
ところが、『牡蠣工場』(2015年)や『港町』(2018年)あたりから(とくに後者)、その種の身構えがほぐれ、カメラが自由になってゆく。そして、カメラが歩きまわるなかで偶然出会ってしまったもののなかに何かを発見してしまうようになってゆくのだ。大きな転換である。
さらにカメラは、みずからが発見してしまったものに魅入られるようにして、深く沈潜してゆく。それがゆえに底を突き抜けてしまい、ある種の普遍性をもった主題を観る者に提示してしまう。意図的に、ではなく、あくまで結果的に。
『精神0』はその意味で、「観察映画作家」として想田の、新たな展開を明瞭に示す作品となっている。
5月2日から公開されている。
ただし前にもちょっと紹介したとおり、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)に関連した緊急事態宣言によって、映画館の営業ができず、劇場公開ができない状況にある。代わりに「仮設の映画館」という試みによって、オンラインにて配信されている。
なお「仮設の映画館」では、現在『精神0』のほか6作品を上映中。さらに数本が待機している。