ヨルダン行きの列車に乗って 3——なぜ「列車」なのか?

シカゴ・ユニオン駅の地下ホームに入線したアムトラックのウォルバリン号。先頭はGEジェネシスP42DC型ディーゼル機関車(イリノイ州、著者撮影)

その2のつづき。前回は、People Get Ready の英語の原詞を日本語に訳してみた。この先、適宜参照されたい。

ヨルダン行きの列車に乗って 2——歌詞を訳す
グリーンフィールド・ヴィレッジのはずれから見たディアボーン駅構内留置線(ミシガン州、著者撮影)その1のつづき。People Get Ready の歌詞の意味を整理してゆこう。まず歌詞(英語)の確認だ。ネット...

この歌詞の中心にあるのは、「列車 train」のイメージである。そして、その列車を牽引する駆動力を提供するのが「ディーゼル」すなわちディーゼル・エンジンであり、ディーゼル機関車である。

鉄道におけるディーゼル機関車は、20世紀初めにドイツで開発され、1930年代までに実用化された。アメリカで、従来の蒸気機関車を置き換えるべく大馬力のディーゼル機関車がつぎつぎ投入されだしたのは、1950年代のことだった。曲の書かれた1960年代には、ディーゼル機関車の牽引する客車列車は、中長距離路線を中心に広く見られる編成となっていた。

歌詞では、その列車に乗ろうと呼びかけている。当時の公民権運動を背景にしていることを知識として知っていれば、この「列車に乗り込む」ことが、黒人差別からの脱却と、その先にあるはずの自由の獲得という救済を暗示している、くらいのことは見当がつく。

そのうえで、しかし、ぼくが最初に思い浮かべたのは、ホーボーに象徴されるようなタイプの「自由」だった。ホーボーとは、社会的束縛を嫌って貨物列車に無賃便乗しては移動して暮らす、アウトロー的な放浪者のことで、とくに19世紀末から20世紀にかけて見られた。ちなみに、ジェフ・ベックとロッド・スチュアートによるカバー(1985年)のMVもそんなイメージで撮られていた(二人とも英国出身の白人)。

そのような受けとめ方も、もちろん、あってよいだろう。ポピュラー音楽はだれがどのように聴いても差しつかえないのだから、どんな受けとめ方であっても、許容されないということはない。

だがそれでも、上述したようなぼくの当初の理解は、歌詞をもっぱら字句どおりの次元においてとらえたという意味で、薄っぺらいものだったとおもう。

考えなければならないのは、なぜ「列車」なのか、ということだ。

「列車」というモティーフは、雰囲気とか気分とかノリといったような理由で恣意的に選ばれたのではない。北米大陸における黒人の歴史を参照するのなら、「列車」はかれらの記憶と深く結びついていることがわかる。それは他ではけっして代替の効かない特別な言葉であり、イメージなのだ。

したがって、People Get Ready に登場する「列車」は、まさに列車でなければならないという必然性にもとづいている。そしてそれは、実在の列車のことではない。重要なのは、これが想像的な列車であり、メタファーだという点である。それも重層的な。

メタファーが1層にとどまらず多層にわたっているからこそ、それは、それを理解することのできる聴き手にたいして、芳醇かつ鮮明なイメージをもたらしうる。

その4へつづく。

ヨルダン行きの列車に乗って 4——アンダーグラウンド・レイルロード
People Get Ready の歌詞に登場する「列車」は、まさに列車でなければならないという必然性にもとづいている。そしてそれは、実在の列車のことではなく、想像的な列車であり、重層的なメタファーである。メタファーが1枚だけではなく重層...