夏の集中講義も終わり、ようやく前期の大学の仕事がひと段落した。やれやれである。ゼミ生たちは、7月に入ってからずっと、集中講義の準備をする者あり、ラジオ番組の企画を立てたりする者ありで、なんやかんやと忙しかった。そもそも集中講義前日まで、ゼミ合宿にいっていたのだ。
で、合宿の帰り道のことだ。三島での乗り換え時間をつかって、駅前の楽寿園というところにいった。こんなところにこんな場所がなるなんて、ぼくはぜんぜん知らなかった。合宿を計画した学生たちが見つけてきたのだ。湧水池を中心とした公園だ。森と池があり、なぜか小動物園もあって、昔はゾウなんかもいたらしいのだが、ぼくたちが行ったときには、カピバラが草をはんでいた。
ちょうどいい具合のあずまやがあった。かき氷をたべながらゼミの続きをやった。そのあと、園内を歩くと、遠方に蒸機が見えるではないか。C58だった。
こんなところにC58が保存されているとは。蒸機の保存に詳しいひとにはよく知られているのかもしれないが、ぼくはまったく知らなかった。
屋外ではあるが、屋根つき。なかなか状態がよさそうだ。大切にされているのだろう。
運転席。操作機器の状態もよい。
公式側(車体の進行方向左側面のこと)のロッド部分。ラップのようなものがかけてあった。理由はわからない。
この個体は、C58 322だ。とくに説明書きはなかったが、帰ってから調べてみると、三島あたりの東海道線を走っていたことはなく、直接この地に縁があるわけではないことがわかった。だが、同じ静岡県内の二俣線を走っていたことはあるという。県内とはいえ、三島からでは東の端と西の端というくらい離れているのだが。
区名板に入れられた「俣」のプレートは、遠江二俣機関区時代のものというわけだろう。
運転席の扉が赤く塗られていた理由は不明だが、錆止めの下塗りなのかもしれない。
ちなみに、園内には子ども用の豆列車も走っている。その「機関車」もC58 322だった(拡大してご確認ください)。ま、車両の形はまるっきり違うんだけど。
実物のC58 322へ話を戻す。区名板にはもう一枚、「敦一」というプレートも入れられている(前掲写真を参照)。これは敦賀第一機関区所属であることを示している。C58 322はここで廃車になっているそうだ。それで、スノープラウを装備している理由がわかった。スノープラウとは、排雪器のこと。一枚目の写真で、連結器の下に映っている。東海道線あたりでは、ふつうあんまり見られない装備である。
ところで、二俣線は、今日では天竜浜名湖鉄道と名を変えている。そのちょうど中間あたりにある天竜二俣駅は機関区を併設しており、それが旧遠江二俣機関区だ。いまも現役で稼動中のターンテーブル(転車台)と扇形機関庫をそなえていることで知られている。
じつは、偶然ながら、この3月にそこへ見学に行ってきたばかりだった。そのときはブログに詳しく書く暇がなかったのだけれど、ちょうどいい機会なので、写真を載せてみたい。
なお、天竜二俣駅の向かいにも、やはりC58が静態保存されていた(389号機)。これは遠江二俣で廃車になった車両だ。
ターンテーブルも扇形機関庫も、そして蒸気機関車も、いまではほぼ消滅してしまったものだ。ぼく自身も、現役時代のことは、リアルタイムではほとんど知らない(ぼくが興味をもつものには、そういうケースが少なくないのだが)。
しかしこうしたマテリアルは、どういうわけか、ひとの気持ちを惹きつけてやまない力をもっている。鉄道模型のレイアウトで必須アイテムでありつづけているのにも、たんなるノスタルジーではなく、それなりに深い理由があるにちがいないとおもっている。