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映画を観る Archive

相米慎二のすべて 1980-2001

東京フィルメックスの一環としておこなわれていた『相米慎二のすべて 1980-2001 全作品上映』に行ってきた。相米慎二監督の没後十年ということで、作品13本すべてを上映するというもの。すばらしい企画だとおもう。

貴重な機会なので、全作品をスクリーンで再見したかった。けれども時間の都合で、観ることができたのは三作品だけ。昨日上映された『光る女』と、今日の最終日上映『東京上空いらっしゃいませ』『風花』。それでも、行ってよかった。

とくに『東京上空いらっしゃいませ』は大好きな作品である。もう、すべてがすばらしい。ぼくにとっては、相米ベスト1であるだけでなく、好きな日本映画ベスト5に入れてもいいくらいである。今回あらためて観て、ますます惚れ込んだ。


映画『ステキな金縛り』

映画『ステキな金縛り』を観た。大ヒット中ということらしいが、三谷幸喜作品としては中程度の出来である。

作中でフランク・キャプラ監督の名前とともに、かれの代表作『スミス都へ行く』(DVDパッケージが映る)と『素晴らしき哉、人生!』(言及だけ)が参照される。じっさい、この2作品にコロンボと『羅生門』を足して水割りにしたような内容だ。

全体としては、喜劇性よりも人間ドラマに軸足がおかれている。三谷作品がしばしば陥るケースである。だからこそ広い客層にウケるのかもしれないが、切れ味抜群のシチュエーション・コメディを期待していくと、まず落胆するだろう。

設定はまずまず面白いが、あまり発展してくれない。個々の要素的エピソードが弱く、全体の組立もかなり乱暴だ。

阿部寛など、ジェームズ・スチュワートになりうる予感が感じられなくもないのに、終盤を迎えると急に妙な扱いをうけることになってしまう。もったいないことである。最後のほうの、裁判が終わったあとのエピソードは、説明的だし長すぎる。なくてもいいくらいである。

芝居は、あえて、なのだろうが、えらく大仰な小芝居が散見される。その「あえて」がどこに向けられた狙いなのかが、いまひとつよくわからず、全体に学芸会や隠し芸大会のような印象ばかりが残る。年配の俳優が演じてしかるべき役柄を、妙につるつるした若い役者に振っていることも、それに拍車をかけている。

ソール・バスふうのオープニングはよかった。最大の収穫は、コメディエンヌとしての深津絵里が確認できたことであろうか。

このひとは、もっと面白いシチュエーション・コメディを撮ることができるはずだ。晩年のキャプラのような自己の再生産モードに入るには、まだ早すぎる。次作に期待したい。


映画『カーズ2』

夏休みの最後に《くんくん》と二人で観てきた。《くんくん》の第一希望は『劇場版ナルト2011』だったのだが、時間があわないことを理由に半ば無理やりこちらに変更させてもらった。

観たのは日本語吹替版である。監督はジョン・ラセターだから、おもしろいに決まっている。

今回はスパイ物だ。007ばりの活劇で幕を開ける。音楽が007ふうなのは当然として、この活劇をクルマにどう演じさせるかというところに、アイディアの投入しがいがあっただろう。むろんここで活躍するクルマは、ボンドカー的にアストン・マーチン(モデルはDB6か?)である。

物語を支える図式は、気のいい米国と一筋縄ではいかない英国との対立と融和、というやつであろう。その意味では、「アメリカ的合理主義にイタリアの職人仕事が負けてたまるか」という旨の台詞を吐く宮崎駿監督の『紅の豚』と対をなしている、といえるかもしれないが、全体としては、まあ、米国から見たときの英国の、近くて遠くて、でもやっぱり近いという微妙な距離感を確認するようなお話だ。

ステレオタイプな思考そのままである。とはいえ、娯楽映画にステレオタイプは不可欠なので、それ自体に文句をつけるのはお門違いだとおもう。むしろステレオタイプをいかに組みあわせて、ある枠組みのなかで独自のおもしろさをつくりだしているかに着目するべきであろう。

物語としては、『トイ・ストーリー3』のような、いわゆる「いい話」ではないので、その手の物語が好みのひとには、深みがないという印象を残すかもしれない。

この作品のばあい、キャラクターがすべて自動車という世界が肝なので、米国対英国という図式は、アメ車対英国(酷)車という図式へと横滑りする。そこが、なかなかおもしろい。

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映画『ウォール・ストリート』

オリバー・ストーン監督の『ウォール街』(1987年)の続編。2008年のサブプライム危機が舞台である。

原題には「マネーは眠らない」と副題がついている。ところが、凄んでみせるわりには、えらく拍子抜けである。

サブプライム危機がデジタルネットワークと欲望が結託したグローバル資本主義のひとつの帰結だったというような認識は微塵も描かれていない。グローバルな金融市場の悪魔的なありようにたいする批判的意識は、ただ個人の倫理の問題だけに回収されることで、体よく隠蔽されている。

話はひたすら、「いいもの」と「わるもの」の二分法というハリウッド的常套手段で進められ、後者が血祭りにあげられる一方で、やたらに「金以上の何か」を強調することで、何かが解決したかのようなお話を語る。なんだか80年代以上に牧歌的である。

全体に、マイケル・ダグラスをかっこよく見せることに腐心しており、その点で『アメリカン・プレジデント』に似た印象を与える。プロモーション・フィルムを見せられているみたいなのだ。

シャイア・ブラーフの主人公は、いちおう悩んだり、失敗したりはするが、物語をとおしてあまり成長(=変化)しないのは、脚本がよくないとおもう。同じことは、「ゲッコーの娘」を演じるキャリー・マリガンにもいえる。とってもうまいし、かわいいけど。

21世紀の世界が、こんな甘くて微温くて、いいのだろうか? かえって心配になってくる。

余談ながら、チラリと登場するチャーリー・シーンの様相が一変しているのには、戦慄させられる。


映画『バンド・ワゴン』

市川のTOHOシネマズで上映、というので出かけていった。DVDなら自宅で何度でも観られるけれど、大きなスクリーンで観られる機会は、この先何回あるかわからないし。

作品については、もうあれこれ言うまでもない。名作である。そうに決まっている。

前年に製作された『雨に唄えば』と並んで、ハリウッド・ミュージカル映画の最高峰である。トーキーの幕開け時代を舞台にした『雨に唄えば』がより明朗で若々しいのだとしたら、こちらは、30年代に始まるミュージカル映画の全盛期を括弧でくくった設定で、ぐっと渋い。

ぼくが最初にこの作品を観たのは高校生か浪人のころだったとおもうが、すでに知識としては、そうしたことを知っていた。知ってはいたが、当時はまだ古い作品を気軽に観られる状況になかったので、なかなか実作品に触れられずにいた。たまたまリバイバルブームが到来し、上映されると知ったときは、うれしかったものである。

ところが、じっさいに作品を観ると、とまどってしまった。たしかにすばらしいとはおもうものの、いまひとつピンとこなかった。いま思えば、まだ尻の青いガキだったのだ。このフィルムは、人生の山も谷も味わい、かつ残された時間に限りがあることを知っている大人の作品なのである。ちなみに、アステアはこのとき54歳である。

ハリウッドのミュージカル映画を考えるときにこの作品が重要なのは、これが名作であり最高峰であるという理由だけに拠るのではない。これを境に、ミュージカル映画というジャンルは凋落し、大きく変質して、ついにはジャンルそのものがほぼ消滅する。その分水嶺に、この作品は位置づけられるからである。

いいかえれば、「1953年のトニー・ハンター」を演じることで、アステアはみずから築いた黄金時代をみずから幕引きするのである。フィルムの隅々に、なんともいえない寂しさが漂っている。

細かいことをいくつか。今回の上映はニュープリントだという。音声の細かいところがよく再生されていて、いままで気づかなかった息づかいや、背後のほうで小さく響く声や音楽などがよく聞こえた。ジャック・ブキャナンのズレ方がいい感じである。とくに前半はこのひとでもっているところがある。

東宝にかぎらず、名画座的な上映をもっと拡げてもらえるとうれしい。


映画『イン・ザ・ネイビー』

潜水艦もののコメディ。掘りだしものである。

当ブログ「散歩の思考」では、映画は映画館で観た作品だけをとりあげることを原則としているが、今回紹介する作品は例外だ。劇場未見、DVDで初めて観た。製作は1996年、日本でも公開されたらしいが、ほぼ地方での二本立て添え物扱いだったようだ。

そのときの邦題が『潜望鏡を上げろ』。原題は “Down Periscope” だから、本来は「さげろ」であろう。じつは1959年に同じ『潜望鏡を上げろ』(ゴードン・ダグラス監督)という作品があり、こちらの原題が “Up Periscope”。そのもじりである。

監督は『メジャーリーグ』のデイヴィッド・ウォード。主演はケルシー・グラマー。後頭部の地肌がのぞき、でっぷりお腹のつきだした、でっかい中年のおっさんである。テレビで活躍しているコメディアンで、映画はこれが初主演作らしい。

で、このグラマー演じるのが万年少佐ドッジである。有能さは海軍全体が認めるものの、変人奇人ぶりがたたって出世コースからはずれている。そのドッジが、突如として艦長に任命される。喜んだのも束の間、それは40年も前の旧式ディーゼル潜水艦スティングレイ号だった。上司にあたる二人の提督(それぞれ味方と敵方)がドッジに演習へ出よと命じる。旧式潜水艦で最新鋭のロサンゼルス級原潜をかわして米海軍軍港を攻略せよ。成功すれば、原潜艦長にしてやる、というのだ。

しかし集められた乗組員たちは、海軍の厄介者ばかり。どういうわけか若くてグラマラスな女性士官までいて、男ばかりの艦内はたちまち怪しくなる。ドッジ艦長は有象無象の曲者どもを掌握しつつ、旧式潜の特徴を逆手にとった奇抜な戦法で、追っ手の原潜を巧みにかわし、軍港へと迫る。──という、まあウォード監督の前作『メジャーリーグ』などでもおなじみの設定・プロットである。

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映画『Space Battleship ヤマト』

太平洋戦争に敗けてから65年。この間日本ではおびただしい数の特撮やアニメ作品がつくられてきた。そのかなりの割合を、なんらかの形で「戦争」を描く作品が占めている。この事実は何をあらわしているのか。

考えようによっては、戦後の日本社会は、65年前のあの敗戦をそのまま事実として淡々と受け入れることができず、特撮やアニメ作品という形を借りて、あの戦争を意味づけようとするシミュレーションを重ねてきたのだともいえる。

その代表的な作品のひとつにあげられるのが『宇宙戦艦ヤマト』だ。

アニメ番組・映画の実写版ということで話題らしい。だが見どころは、木村拓哉や黒木メイサや実写のヤマトだけではない。

もともとこの作品は、70年代の世界認識をもとにつくられている。もとのテレビ版には、1945年4月、旧海軍の戦艦大和が沖縄特攻に出かけ、坊の岬沖で米艦載機の攻撃によって撃沈される場面が描かれていた。22世紀末を舞台にした『宇宙戦艦ヤマト』とは、あのとき沈んだ大和、そして敗戦した日本にたいし、あらためて「意味ある生(と死)」を付与しようとした語りだったのだといえる。

そのような「往年の名作」は、21世紀において、どのように解釈されうるのか。あれから40年が経過し、その間に世界はすっかり異なる様相を見せるようになってしまった。そうである以上、これもまた重要な見どころであるはずだ。

そして皮肉なことにこの作品『Space Battleship ヤマト』は、70年代ナショナリズム的な語りを21世紀のグローバル時代にそのまま持ち込むと、テロの論理になってしまうということを、図らずも実践してみせることになってしまった。

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映画『借りぐらしのアリエッティ』

ひさしぶりに《あ》と《くんくん》と一緒に観に行った。いちおう夏休みらしいこともせねばね。

ジブリの新人監督デビュー作といえば過去の例からみて一種の鬼門なのだが、今回の米林宏昌監督は、まずまず健闘していたというのがぼくの意見である。

正直にいって特別な新味があるわけではない。ないのではあるが、昨今の多くの子ども向け作品のように安易に「魔法」に頼ったりすることなく、とにかく実直に登場人物の心情を表現することに心を砕いていた。心情を描くうえでは、たとえば人物の表情やしぐさだけではなく、草花や雨や物音など、映画的なさまざまな表象の描き方を駆使する必要があるし、ショットとショットのつなぎ方にも、工夫が必要だ。こうした点にかんしては、どれも類型的な描き方であるとはいえ、まずまず成功していたといえる。

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映画『樺太1945年夏 氷雪の門』

太平洋戦争の末期、というより、日本のポツダム宣言受諾後も継続した日ソ戦の主戦場のひとつ、樺太のたたかい。8月15日をすぎてもソ連軍は南下をつづけた。樺太南部西海岸にあった真岡では、ソ連艦隊による艦砲射撃がくわえられ、さらにソ連軍が上陸し、町中が混乱に陥った。真岡郵便電信局で電話交換業務をおこなっていた女性(10代から20代)9名は逃げ場をなくし、捕虜となることを怖れ、ついには自決を余儀なくされた。その史実を題材に撮られた作品だ。1974年に完成しながら、当時のソ連の圧力によってお蔵入りになっていたという。

物語は、いってみれば「ひめゆりの塔」の北方版である。

沖縄戦を舞台にした「ひめゆりの塔」の史実は(善し悪しはともかく)戦後民主主義的な「反戦」の象徴としての物語と位置づけられ、くりかえし映画化されてきた。対照的に、おなじくうら若い「乙女」たちが無情にも戦火のなかでみずから命を絶たざるをえなかった真岡郵便電信局事件のほうは、必ずしもひろく知られてはこなかった。それを踏まえたうえで、もうひとつの「ひめゆりの塔」として受容されることを期待したつくりが、本作品には与えられている。

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映画『トイ・ストーリー3』

「トイ・ストーリー」シリーズの最終回(?)の主題は、成長と別離だ。

子どもから大人になること。そこで不可避に生じる別離をめぐる葛藤。それを巣立つ側と見送る側とがそれぞれのやり方で受け容れ、乗り越えてゆくこと。成長と別離はアメリカの現代文学がくりかえし描いてきた主題であり、ハリウッドでも若者向け作品を中心にやはり同様に反復されてきた。この主題にピクサーがどう挑戦するかが、本作品の見どころである。

結論を喩えていえば、一勝一敗といったところか。まず一勝のほうから。

主人公の人形は、大学入学を控えるまでに成長した持主の少年と、いよいよ別離を覚悟しなければならない時期をむかえることになった、という設定から物語が始まる。わかれたくない、一緒にいたい、という気持ちと、しかしそこにはじぶんたちの居場所はないという現実とのあいだで、少年も、おもちゃたちも、それぞれが烈しく揺れ動く。おもちゃと子どもとは、もとより棲む世界が異なっている。おもちゃはいつまでもおもちゃであるが、子どもはやがて大人になる。両者の蜜月はいつか終わる。それをそれぞれの仕方で受け容れることが、つぎのステップへつながる。

その意味でこの作品は、ウィニー・ザ・プーの変奏、もしくはリベンジである。

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