家族でもっとも遠くまで出かけたのは、2年前の春に花巻へ出かけたときだろうか。このときは、長者原SAで仮眠し、朝目がさめたら、前の右タイヤがパンクしていた。さいわいSAのガソリンスタンドが開店していたので、そこで修理してもらった。その年の秋、こんどは北海道のニセコで、後ろの左タイヤがパンクした。このときもすぐにタイヤ屋さんが見つかって修理してもらった。市川に戻ってからデューラーのATに交換した。まあ、あんまりMTという柄ではない。
単独行では毎年9月の北海道行きがランクルとの長旅だった。勘定してみると5回になる。初めのうちはおとなしく高速をつかって走っていったのだが、やがてさまざまなルートをたどるようになった。
今秋はついに林道づたいに東北を北上し、北海道では最北端まで達したのち、島牧へ寄ってから大間へ戻り、北上山地を縫うようにして走る三桁国道を走って帰ってきた。今秋の旅の走行距離は4500km。それまで平均で年5000kmも走っていないくらいだったから、異例の長旅だった。
ぼく自身にとっても、オホーツク海を目にしたのはほとんど15年ぶりであったし、最北端宗谷岬にいたっては23年ぶりであった。灯台のある台地上の駐車場から、ランクルと一緒に、水平線の向こうに浮かぶ樺太(サハリン)を眺めた。
毎秋の北海道行きでは二回、向こうで家族と落ちあって島牧を訪問した。一度は狩場山に登り、二度目には大平山に登った。大平は険しい登山で、ぶじにランクルの待つ駐車場まで戻ってきたときには、最年少の《くんくん》はおいおいと泣きだしてしまったものだった。二回とも、帰路は苫小牧から大洗へフェリーで帰ってきた。ステッピーはけっきょく津軽海峡を越えることはなかっただけに、ランクルには何度も北海道の景色を見せてやることができたのはよかったとおもっている。
しかしぼくのなかでランクルは、先述したような経緯もあって、どこかで暫定的な存在という気持ちが拭えなかった。ランクルが故障しないで走ってくれるだけに、そういう気持ちをもつことが申しわけなくおもわれた。けれども、毎年秋の長旅から帰ってくると、自動車での長旅が愉しいだけについつい、気持ちは「つぎに買うならこれ」と決めた車のほうに向かってしまうのだった。昨年も一昨年もそうだった。
そして今年、とうとう意を決して、買い替えることにしてしまった。《あ》は、どうしていま買い替えなくちゃならないかわからないと反対した。彼女は運転免許証をもっていないが、彼女なりにランクルのことを気に入っていたのだ。
ランクルの実質的なラストランは10月。前に「散歩の思考」でも書いた、日帰りでの大洗行き、《くんくん》との二人旅だった。
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