「間違い」をめぐる二つの制度——トランプの言動から考える権力の分散と集中 2

その1からのつづき。

「間違い」をめぐる二つの制度——トランプの言動から考える権力の分散と集中 1
ラファイエット広場側から見たホワイトハウス(著者撮影、2017年12月)トランプの連邦軍投入発言トランプ大統領の言動が、中国共産党のそれに似てきた。全米にひろがるBlack Lives Matterの抗議活動をめぐ...

もしトランプの連邦軍投入が現実化していたら?

もし万が一にも、トランプが連邦軍を私兵のようにつかい、自国民である抗議者たちに向けて使用していたとしたら、どうなっていただろう?

軍の権威は失墜し、おそらくアメリカは後戻りできなくなっていた。「天安門」や、昨今香港やウイグルで起きていることと同じ構図になるだからだ。その影響はアメリカ一国にとどまらず、民主主義の理念そのものを根本から毀損することになっただろう。

そして、ロイターの記事によると、トランプは一時連邦軍1万人、それも精鋭部隊の投入を要求したそうで、本気で抗議者たちの「鎮圧」を実行するつもりだったという。これが事実ならば、アメリカの首都、それもホワイトハウスの目の前で、連邦軍が自国民に銃を向けるという事態が現出する寸前だったのかもしれない。

トランプ氏、首都デモ鎮圧に一時1万人の連邦軍投入望む=政府高官
米首都ワシントンで続く人種差別などへの抗議デモを巡り、トランプ大統領がある時点で、1万人の連邦軍部隊を投入して事態を沈静化させたいと望んでいたことが分かった。米政府高官の1人が明らかにした。

それでもトランプが連邦軍を使用できなかった理由

もっとも、トランプの真意がどこにあったにせよ、かれは連邦軍をハッタリ以上につかうことはできなかっただろうと、ぼくはおもう。

理由は二つ。ひとつは、それもまたトランプの個人的資質である。かれは「マッチョ」に見られるのを好むものの、人物としてそこまでの度胸はもちあわせていない。むしろ小心であるがゆえに、連邦軍投入などという無理筋を言いはじめたのだ。

もうひとつは、政治の制度的な仕組みだ。

日本のような議院内閣制に比べて、アメリカでは行政・立法・司法の三権分立がずっと徹底されているうえに、政治勢力としても保守とリベラルの二派に分かれてせめぎあっており、二重に抑制・牽制しあう体制になっている。大統領は軍の最高指揮官ではあるが、大統領ひとりでなんでも決められるわけではない。連邦軍の国内使用は、法的には不可能ではないらしいが、その根拠となるのは19世紀につくられた古い古い法律のため、いまトランプがそれを根拠にするには薄弱すぎる。国防総省や国務省のみならず、議会、司法からも牽制が入り、実行される可能性は低かっただろうとおもう。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア記念碑(著者撮影、2017年12月)

権力の集中、権力の分散

この点が、中国との大きな違いである。中国では、軍による自国民の「鎮圧」にたいするハードルははるかに低い。そして、それが現実化した様を世界は何度も目撃している。いくら米中がミラーゲーム化したとしても、ここまで来ると、違いは決定的である。

米中のこの違いは、つまるところ、権力の分散か集中かという、政治体制を支える制度の違いに発するのだとおもう。

現在の中国は、いうまでもなく、共産党の一党支配であり、権力はそこに集中している。権力集中体制では、政治は例外なく強権的になる一方、なにごとも上意下達式で動くから、ある意味では効率的で機動的に物事をすすめられる面もある。

げんに、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)が武漢で拡大したさい、迅速かつ強引な対応でこれを抑え込むことに成功した中国のやり方を評価する声がある。なかには、その後に西欧諸国を襲った悲劇や混乱と比較して、民主主義的な理念の終焉だとまで言いきるような論評を唱える識者も、一人や二人ではなかった。

しかし、そのような論評が可能なのは、局面だけを見ているからである。

その3へつづく。

「間違い」をめぐる二つの制度——トランプの言動から考える権力の分散と集中 3
その1、その2からのつづき。権力者がけっして「間違わない」制度たしかに局面にかぎれば、権力集中体制は、上意下達で無駄がなく効率的に映ることもある。しかし、中長期的に見たときには、その強権的な顔貌と相反し、あ...
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