People Get Ready の歌詞において中心となっている「列車」のモティーフは、19世紀に実在した奴隷黒人逃亡支援を目的とした地下組織「アンダーグラウンド・レイルロード(地下鉄道)」の記憶と結びついていると前回(その4)にて述べた。
では、その「列車」はなぜ「ヨルダン行き」なのだろうか。
この一節は、おそらくぼくも含めた日本人の平均的知識の持ち主にとって、もっとも唐突に感じられ、理解に苦しむ箇所のひとつである。なぜここで「ヨルダン」が登場するのだろう?
ヨルダン Jordan と聞いてすぐに思い浮かべるのは、中東に実在する国家だ。西にイスラエル、北にシリア、東にイラク、南にサウジアラビアと国境を接している。首都はアンマン。日本からの直行便はない。しかし、People Get Ready の歌詞にある「ヨルダン」は、実在する国家としてのヨルダンをさしているのではない。
また同じ綴りで、英語読みで「ジョーダン」のように発音される名をもつ街が全米各地に点在している。だが、それらのうちのどこか特定の実在の街をさしているのでもない。
この歌詞でいう「ヨルダン」とは、国や街の名前ではなく、具体的には「ヨルダン川」のことをさしている。「ヨルダン川 River Jordan」とは、先述したアンダーグラウンド・レイルロードの隠語で、オハイオ川 Ohio River のことをさしていた。
オハイオ川は、アメリカ最長の河川であるミシシッピ川の大支流のひとつだ。アパラチア山脈に源を発したアレゲニー川とモノンガヒラ川が、ペンシルバニア州ピッツバーグで合流して、オハイオ川と名を変え、西へ向かって流れてゆく。
ペンシルバニア州をでたあと、オハイオ川はいくつもの州のあいだで境界を構成する。左岸(南側)には、はじめウエストバージニア州、ついでケンタッキー州が延々とつづく。右岸(北側)は順にオハイオ州、インディアナ州、イリノイ州と移り変わり、ミズーリ州が見えてきたところで、北西から流れてきたミシシッピ川に合流する。全長1579km。ちなみに日本最長の河川である信濃川は全長367kmである。
この地理的条件がポイントだ。というのも、オハイオ川が構成する諸州境は、南北戦争まで、南部の奴隷州(奴隷制が認められていた州)と北部の自由州(奴隷制が廃止されていた州)とを分かつ境界でもあったからである。
それゆえ奴隷黒人たちは、南部諸州から逃亡をはかると、北へ向かい、オハイオ川をめざした。オハイオ川を渡ることは、すなわち自由への「切符」を手に入れることに等しいと考えられていた。
その6へつづく。