People Get Ready の歌詞にいう「ヨルダン」とは、国や街ではなく、具体的には「ヨルダン川」のことをさしている。そして「ヨルダン川 River Jordan」とは、先述したアンダーグラウンド・レイルロードの隠語で、オハイオ川 Ohio River のことをさしていた。したがって、歌詞の「ヨルダン」とは端的にオハイオ川のことだ。そしてこの実在する河川は、南北戦争以前には、南部の奴隷州と北部の自由州とを分かつ境界でもあった。それゆえ逃亡黒人たちはまずオハイオ川をめざした。そのようなことを、前回(その5)述べた。
すると、新しい疑問が浮かぶ。奴隷黒人逃亡支援のための地下組織アンダーグラウンド・レイルロードにおいて、なぜオハイオ川の隠語として「ヨルダン川」という語が当てられたのだろう?
結論からいえば、それは、ここに旧約聖書が重ね合わせられているためだ。
旧約聖書の最初の5書を「モーセ五書」という。そこには、モーセがヘブライ人(ユダヤ人)たちを率いてエジプトを出、「約束の地(カナン)」へと導いてゆく過程が描かれている。セシル・B・デミルのスペクタクル映画『十戒』(1956年)で描かれていたような、紅海がまっぷたつに割れ、そこを歩いて逃げることでエジプト軍の追撃を振り切った話や、シナイ山の山頂でモーセが神から十戒を授けられたりするのも、この道中でのエピソードだ。
モーセたちは40年かけて、出エジプトから「約束の地」の東端に達したとされている。「約束の地」とは、神がイスラエルの民に与えると約束した土地のこと。その東の境界が、ヨルダン川である。
実在のヨルダン川は、レバノン、シリア、イスラエル、ヨルダンなどを流域にもち、北から南へ向かって流れている。途中に、イエスをめぐるさまざまなエピソードの舞台となったガリラヤ湖がある。そして最後は死海に注ぐ。全長425km。地質学的にはアフリカ大陸からつづく大地溝帯の北端に位置している。
ヨルダン川はこんにち、しばしば国際政治の文脈で注目される。直接的には、この川がおもにヨルダンとパレスチナ・ヨルダン川西岸地区との境界となっているためである。
ヨルダン川西岸地区は、1947年の国連パレスチナ分割決議ではアラブ人国家の区域として配当された。その後におこった第一次中東戦争(1948年)で、ここに東からヨルダン軍が進攻して占領した。そして第三次中東戦争(1967年)では、イスラエル軍によって支配されることになった。いまヨルダン川西岸地区は、イスラエルとパレスチナ自治政府とが統治しているが、半分以上の地域がユダヤ人入植地となっている。そして、こうした歴史的経緯の帰結が、ヨルダン川を境界たらしめている。
背景は複雑だ。よく知られているように、このあたりは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教それぞれにとっての聖地である。英米などによる近代の帝国主義支配があり、二つの世界大戦をはさんでその支配体制が崩壊し、民族間の紛争が頻発し、そうした政治力学にひとびとが翻弄されてきた歴史もある。ヨルダン川そのものは、必ずしも大河と呼べるほどの規模ではない。だがこの川のあり方には、政治・経済から宗教・歴史・民族といった社会・文化的な文脈のもろもろが複雑に絡まりあっている。
ぼくはヨルダン川のすぐ近くまで行ったことがある。そのとき撮影した写真を上にあげておいた。
写真に川そのものは映っていない。カラカラに乾いた平原の向こうにわずかばかりの緑が畑地が帯状に伸びているのがわかるだろう。川が流れているのは、その向こうだ。対岸はもうヨルダン川西岸地区。小高い丘が川に沿って伸びている。その丘の麓にジェリコの街が見える。
ジェリコ(エリコ)は、旧約聖書の『ヨシュア記』において、モーセの跡を継いだヨシュアが初陣で攻略する街として登場する。この物語をうたった黒人霊歌が「ジェリコのたたかい Joshua Fit the Battle of Jericho」だ。黒人霊歌については、次回(その7)にて触れることになる。
この写真を撮った場所はヨルダンのほぼ西端にあたる。ここからジェリコまでは直線距離でわずか13km。エルサレムまで同じく33kmにすぎない。
ここまでぼくを連れていってくれたクルマの運転手さんは孫がいるという年配の男性で、うんと若い頃にエルサレムからヨルダンへ逃れてきたのだと言っていた。確かめたわけではないが、おそらく第三次中東戦争(1967年)の頃の話ではないだろうか。
その7へつづく。