藤岡歴史館は藤岡市内をのぞむ高台にあった。
あたりは古墳地帯。目の前にも円墳が二つ、らくだのこぶのようにあり、公園として整備されていた。登ってみると、市街地が一望できた。堀越二郎の生家もここから遠くない場所にあったらしい。
すぐ北に七興山古墳という有名な古墳がある。その近くに、昭和的な自動販売機ファンによく知られた「ドライブイン七興」がある。なにについてもマニアはいるもので、「懐かし自販機」というサイトでたいへん詳しく紹介されている。ぼくも寄ってみたかったが、今回は時間がなくパス。また来よう。
帰路はW800で峠を越えてゆく。まず藤岡から県道を走って塩沢峠を越え、神流へでる。さらに志賀坂峠を越えて秩父へ抜けるルートだ。下は、取得した今回のトラックデータを帰宅後にGoogleEarthに読み込んで表示したルート図である。
なお藤岡→神流間の群馬県道部は未踏であったため、事前にグーグルマップのストリートビューで「予習」していった。ツーリングマップルですらほぼ無視しているようなこんなマイナー県道でもきっちり実踏取材しているグーグル恐るべし。
歴史館の目の前を走る群馬県道173を道なりに南下。県道は鮎川ぞいを徐々に西へ向きを変えながら、175→71→177と番号をかえてゆく。
谷が深くなるにつれ、けっこうな狭路となる。路面も荒れ気味。四国の狭小路とは異なり、そこそこ対向車がくる。要注意だ。
雲行きが怪しくなってきた。天候が不安定で、山沿いは急な雨があるとの予報だった。
甘楽から南下してくる群馬県道46にぶつかって、左折、というか主観的には直進。
塩沢峠へ向かう。左手の眼下に藤岡方面が見えた。ずいぶん登ってきた。峠付近に達すると、ところどころ路面が濡れている。山頂付近には雲がかかっていた。
峠を越えたら神流町だ。御荷鉾林道が合流するあたりでは、すっかりガスに覆われていた。こりゃ降られるか。
ここから荒れかけた道をひたすらくだる。スロットルオフでエンジンブレーキがかかっているとき、マフラーからパンパンとアフターファイヤーの音がする。ぼくのWのエンジンや排気系はまったくのノーマルだから、これがふつうなのだろう。
くだりきるとR462にぶつかった。ついさっきまで降っていましたというような路面状態だった。水たまりもできていた。しかし、少し西へ走ると、路面はすっかり乾いていた。雨は局地的だったらしい。
このあとは近道となる群馬県道71はとおらず、R299で志賀坂峠を越えて埼玉県に入った。すると、切りだした木材を運ぶトラックに追いついた。さすが埼玉だ。どこまでいくのだろう。
温泉の販売スタンドもあった。さすが埼玉。
小鹿野あたりで武甲山が見えてきた。
セブンイレブンで最後の休憩。
秩父市内を抜ける。踏切の標識はいまだに蒸機だ。さすが埼玉。まことに好ましい。
芦ヶ久保あたりで日が暮れた。このあたりからはしばらく快走路だ。登りかかった満月を時おり正面にながめながら、飯能をめざして走った。
狭山市内を抜けてR16経由で川越ICから関越へ。正面には満月が見えるのに、左手の東の空は痙攣するかのように光る。いつ降りだしてもおかしくない。だが、あいにく新座料金所から先は猛烈な渋滞であり、外環の和光北までずっとつづいていた。外環は往路も大渋滞に巻きこまれて往生したのだった。じぶんも渋滞悪化に一役かっているという事実をていよく棚上げにしていえば、できれば勘弁してもらいたいものである。
それでも藤岡歴史館を出発してから5時間20分ほどでぶじに市川へ帰着した。ほどなくして雨が降りはじめた。